ロシアのプーチンの盟友、ロシア正教会のボスである総司教の男がウクライナとの戦争は聖戦といいだした。国内での反発を宗教でごまかすためのもので、平和を主張する司祭たちを追放しているという。ロシア正教はプーチンとズブズブの関係で、共産主義に変わるロシア人の精神的支柱であるが、やばいことにキリストの教えではなく、ロシア人という民族主義の代表に過ぎないのである。そもそもキリスト教の一支部に過ぎない輩が聖戦と称するのはおかしい、ウクライナにもちゃんとウクライナ正教会があるし、ローマカトリックも、ギリシャ正教もあるのに何の権限があって聖戦というのか、イスラム教徒のいう聖戦とどう違うのか。ハッキリ言おう、聖戦……
現代社会に必要不可欠となったコンピュター、今もこの瞬間も開発がすすみ人類の発展につながっている。ただし、これらを悪用されればどんな危険性があるかは、例えば原子力を利用するのは良いが原子爆弾を作る可能性もあるというような危険と隣り合わせだ。著作権の侵害もあるし、ファイクニュースで虚偽の話をAIが作成し社会を混乱させることも考えられる、高度な経済詐欺も起こるだろうし、テロリストの犯罪にも利用されるだろう。これまでのように野放しではすまない。物理的に自然界には存在できないので、コンピュータが作り出す環境が必要ということと、電気がなくては動かないという所から人間の管理が必要であり、適正な国際的な管理体……
今年のNHK大河は源氏物語の世界、この物語は千年前も小説で、日本の文学と言うより世界の文学の最高峰である。すぐれた文学は多数あれど、この世界最初の長編小説が現代までも最高と言われるのは、紫式部文学としての質もそうだが、宮中という最高峰の世界を描いたからだ。庶民の生活、軍記物、恋愛物、偉人伝さまざまなジャンルがあっても結局は普通の社会の話であり、王宮内の物語という高級感はない。源氏物語が極めてレアな環境であり、まさに高貴な人々の物語故に比類ないものなのだ。つまりは今後の小説全てが源氏を越えることはないということで、最初にして最後の最高文学である事は永遠であるということになる。さてオリジナルである……
自民の凋落傾向で総選挙がどうなるか、今回の問題は主犯である森喜郎を無罪放免したことで、保守王国島根すら不信をかったことにつきる。もし森を自民党から除名できれば岸田政権の支持も逆に増えたかもしれないが、森がもしこれまでの悪行をばらしたら元も子もなくなり、無罪放免したということだ。これまでの利権で得た利益は天文学的な金額だろう、いかに文部科学大臣のうまみを知り尽くしているということだ。ちなみに宗教法人も文部科学省の所管、スポーツも所管、プロレスラーが知事になれるのも、無能なスポーツマンがスポーツ庁の長官になれるのもどういう人事が行われているかはハッキリしている。ともかく森に自爆攻撃はなくなっても、……
石垣市の調査船に国会議員の稲田氏らが乗り込み尖閣諸島の調査を行ったが、知事のデニーは行かない。中国海警の艦船に囲まれるという、日本の主権侵害があったにもかかわらず、当の知事は無視と言うより中国共産党のシモベとして今後も尖閣の中国化方針の本心を変えないだろう。さて、静岡の川勝とか、日本を貶める知事が横行している。先日の島根の国会議員選挙の自民党の敗北も、国政が地方に及んでいない、逆に地方では拒否されているという明確な証拠である。
将来は日本の多くの自治体が消滅するという危機の中、国に地方もトップが何も考えていない。コロナ混乱期に、国と地方で責任の押しつけあいで醜態をさらけた時を思いだす。北海道……
金の切れ目が縁の切れ目、中国が信じるのは「神」ではなく「金」である以上、もし金が無くなれば中国世界の終焉を迎えることになるのは必定だ。反対にアメリカからの莫大な支援でウクライナが息を吹き返す。ロシアが大国だと思っている人が多いが、大きいのは面積だけで、数年前の統計では経済規模はイタリア程度、人口も一億人ではとても他国を侵略するほどの国力はない。いかに大嘘で虚勢をはっても結論はそれ敗戦以上でもそれ以下でもない、「ロシア」という固まりが溶けて無くなる程度のことだろう。日本では昨日の選挙で自民党は一議席も取れなかった。もちろん自民の候補者は一人だったので3戦3敗というのは形だけのことだが。さて、岸田……
中国では習の神格化が着々と国家事業として進んでいる。経済や人権などお構いなし、習のために多くの側近が粛正され、人民が弾圧され何が神なのか。北朝鮮の金正恩も同じ、ロシアのプーチンもいずれは神となるだろう。トランプは大統領に返り咲けばこれもまた神となるのだろうが、前回と異なり不自然な行動については理解できない、口先では前よりも強硬な政策を言っているが何か隠し事があるのかもしれない、トランプの本心はまだわからない。さて、権力を持つと自分を神ではないかと思い込むのだろうか。戦国時代、織田信長もまた自分自身の勝負強さを神の加護と言うより、自らが神である確信したと想像できる。それはそうだろう、小さな国の領……