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プーチンが聖戦と言い出したぜ

ロシアのプーチンの盟友、ロシア正教会のボスである総司教の男がウクライナとの戦争は聖戦といいだした。国内での反発を宗教でごまかすためのもので、平和を主張する司祭たちを追放しているという。ロシア正教はプーチンとズブズブの関係で、共産主義に変わるロシア人の精神的支柱であるが、やばいことにキリストの教えではなく、ロシア人という民族主義の代表に過ぎないのである。そもそもキリスト教の一支部に過ぎない輩が聖戦と称するのはおかしい、ウクライナにもちゃんとウクライナ正教会があるし、ローマカトリックも、ギリシャ正教もあるのに何の権限があって聖戦というのか、イスラム教徒のいう聖戦とどう違うのか。ハッキリ言おう、聖戦ということはヤマシイ所を隠す意図があるということだ。自ら犯した罪悪感をプーチンのかわりに聖戦というとってつけた免罪符を掲げることで彼らの罪の意識を払拭するだけ、結論、罪悪感の裏返しである。つまりウクライナへの罪を認めたからこそ、これまでのネオナチというレッテルから聖戦というレッテルに切り替えて、ロシア人たちをウクライナの地で血を流すための方便なのである。
 ところで、日本では憲法改正とか言い出したが、話だけで一向に動かない。調査会か何かで、まだ議論が足りないから憲法議論はしないとか、訳の分からない話をして一向にらちがあかない。毎回選挙のために憲法改正をするといい、何もしないでお題目であり、パーティ券問題よりも憲法の方が数万段高い国会の議題のはずにもかかわらずだ。なぜ口先だけで憲法改正が進まないかは、単に野党の護憲勢力が第9条の戦争放棄を選挙に使っているだけではなく、根本的に現行憲法の経緯も議論になるという余計な心配で動かないのだ。ハッキリ言ってこれまでの経緯を議論する必要は無い、それは憲法学者の研究に任せれば良く、国会議員は現状で日本国の問題点を現時点及び将来を見据えて必要な改正を行うということだ。「戦争放棄」という言葉も、現状における戦争状態を見れば、「国家の安全」とういう章立てになるだろうし、記載されない「自衛隊」を明記するだけの話で、すぐに改正する手続きをして、判断は国民が決めるだけのこと。結局、何十年も改正を放置しているのは、結局戦争責任が明確でないというだけのことなのだ。東京裁判で判決が出て東條英機が刑死したり、靖国神社に祭られたが、これは形式だけのことで、本当の戦争の責任という総括は国家として結論を出していない、憲法改正議論で曖昧な部分をどうするか、今の人々が議論するのは無理だろう。はっきり言おう、あの戦争はヒトラーに騙されたのだ。今で言う習キンペイが一路一帯とかいいだして多くの国が騙されたと同じで、あのときはヒトラーが世界を征服すると信じ込んで勝ち馬に乗り遅れるなと付け焼き刃の押っ取り刀で真珠湾攻撃をして後の祭りとなったのだ。200万人以上がなくなり本土以外の領土を失っても、負けましただけで何で戦争に入ってしまったという説明がだれもわからないからグズグズいつまで経ってもだれも何も言えないのだ。ヒトラーに騙されたとハッキリ言って、オレオレ詐欺のようにこれからは日本が適正に判断しましょうでいいのだ。何度も言うが、太平洋戦争はヒトラーに騙された、そしてそれが言えないから、グズグズと戦争を継続したからあのザマになったのだ。もし織田信長が決断した戦争なら、自らの意思での実行であり、自ら戦争中止も判断できたが、ヒトラー頼みで突っ走ってしまったためにだれも止めることができないという愚かさだった、今回の改正は自らが自らの意思で、自らのために改正するという事だけだ。

内山家政婦看護師紹介所

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