反日武装戦線とかいう輩が50年ぶりに発見された、桐島というらしいが、もはや化石だ。日本のガンが末期癌を患うという終末的な皮肉なのだろうか。さて、こういう連中は満蒙開拓団のソ連軍の邦人婦女虐殺のことなどほっかむりするのだろう。太平洋戦争の敗戦で、満州国の日本人は命からがら日本への避難を始めたのが、すでに日本軍は南方戦線にかり出され、開拓団の多くは婦女子だけだった。着の身着のままほとんど何も持たず、もちろん武器もないところに不可侵条約を一方的に破棄しソ連軍(現ロシア軍)の戦車などの共産党軍が攻めかかり、大多数の婦女子が戦車にひきこらされ、陵辱、虐殺された。こういう事実はわずかに生き残った方からの証言がもたらされているが、日本は何もしていない。また、多くの将兵がシベリアに抑留され、凍死するまで強制労働に酷使された。日本政府はいまだに沈黙し、ソ連を糾弾したてもいないし、亡くなった方々に何もわびてもいない、ロシアも極悪であり、その虐殺される中で、中国人も日本の婦女子を殺害し荷物衣服を強奪し、子供たちを略奪した、のちの残留日本人孤児だ。これは満州以外でもいいたるところで行われた敗戦国日本人への一大虐殺である。こういう事実も理解せずに、反日を名のり、いかにも「日本人が悪」という反日日本人の正体はなんなのか、反日鬼畜としか言いようがないだろう。
まあなんで虐殺されるまで戦争を引き延ばすのではなく、すぐに降伏すればよかったが、それをしなかったのはなぜなのか。此には日本の歴史も大きくかかわる。日本人だから、戦争をやめる決断がつかなかったというが、維新前の徳川慶喜は幕府の大軍を要していたが戦争をせずに直ぐさま降伏をしたいる。けっして日本人だから最後まで戦うというのは嘘だ。しかし、この慶喜の行動が江戸時代を太平洋戦争まで水面下で生き延びさせた。つまり武士はこれまでの地位を幕府崩壊で戦わずに一瞬にして喪失し、そのわだかまりは幾ばくか。これが戦って敗れれば納得もするが、まさにいきなりお前らは明日から農民と同じだよと放り出されれば、いつかこの借りは返してやると、不完全燃焼が続いたのだ。日清日露戦争の後の勝利で燃え上がった炎は完全に灰に燃え尽きるまで戦争を止められなかったのだ。これは歴史の流れであり、あれだけのボロ負けになってはじめて武士でなくなることを納得したのだ。ちなみに、徳川慶喜も薩摩や長州が将軍になろうとするなら最後まで戦ったろう、戦う以前に膨大な軍備を要する徳川軍はまけないのだが、天皇が出てきた瞬間に慶喜は降伏したという、まさに日本の一大転機であり、これもまた日本の成り立ちから必然だったといえる。