ジャーニーズ事務所が名前を変更するという、もちろん大規模な被害者を出した以上、これまで通りに経営も行かないだろう。新聞記事には多くの巨大宗教法人も存立の危機に近づくとある、統一教会や創価学会を指すようだ。ロシアも中国の大国だとこれまで世界を威圧してきたが、貧しい小国相手にまだ戦争を継続している。習はめっきり社会に出ることもなくまるで引退したかの様相だが、着々と粛正には尽力しているという。昨日まで権勢を振るっていたが、今日は落ちぶれ果て、明日はいずこへと分からなくなるというのは昔も今も変わらないと言うことだ、おごれる者は久しからず、祇園精舎の鐘の音である。うたかたの川の流れに浮かぶアワのようにできたと思った瞬間にはかなく消える、我が身もだれもかれも同じ、プーチンも習も正恩もトランプもまた同じ。しかし、日本というのは明治維新からだけ見ても日清日露戦争以降、関東大震災、太平洋戦争、バブル崩壊、東日本大震災等々続いても逆に訪日外国人の人気は上がる一方で、地方の高齢化は酷くても大都市の高層ビル群の林立をみればまだまだ日本の底力を感じるのである。歴史から見ると、中国がそのたびに王朝を変えて次々と栄枯盛衰をウンカの大群のように繰り返すのと、ひとつの王朝で紆余曲折はあっても亀のように長く維持していくものとやはり大きな違いがあるということだ。究極的に見て両者の違いは、過去を否定しながら歴史を続けると結局自らも否定されるという事実だ。日本も戦争犯罪とかいまだに反日団体が責任追及を繰り広げているが、多くの人々が過去よりも未来に向けて行動している、過去の責任も確かに謝罪し、信頼を回復する必要はあるのだが、それをクリアしたら、それを継続して責任追及する愚かさは日本人にはないと思う。もちろん韓国の慰安婦とか、日本の反日団体は違う見解だろうが、何度も言うが当事者でもない者が他人の不幸を使って過去の日本の過ちを攻撃し続ける愚かさは、沖縄のデニーだけにしてもらいたい。