トップイメージ

安倍元総理襲撃から1年

1年前の奈良駅前で安倍元総理は選挙演説の最中に凶弾に倒れた。いろいろなマスコミや知識人が解説しているのでそちらを見れば良い。要は、第一が警備の問題、他の県では問題なくても、この奈良の杜撰さは際立っていた。素人目でも後ろががら空きでは襲撃してくださいというようなもんで、奈良以外だったら大丈夫ですよなどという事ではない。つまりは要人警護のプロ集団ではなく、専門の外人部隊を雇った方が良かったかもしれない。第二は宗教の問題、これも信教の自由があるので、教義そのものに物をいうのは大変だ。しかし、オウムから始まった宗教の革をかぶった犯罪・詐欺については刑法犯として裁判の問題だ。しかし、犯罪行為があれば宗教法人か否かにかかわらず、宗教法人格を破棄するだけの話で、それは国会及び文部科学省が決定することだ。とにかく、以前は文部科学省宗務課はわずか10名足らずの小所帯でほとんど機能しなかった、故に多くの幽霊法宗教法人が存在し悪の温床にもなっている。宗務課の機能を強化しないと第二第三の統一教会、オウム真理教が出てくるのは確実だ。問題はさらに宗教法人審議会のメンバーが宗教関係者ばかりだという事だ、これだと宗教側の立場しか代弁するための機関であり国民目線ではない、これまた学術会議同様お手盛りになる。そこで第三の問題が政治と宗教の関わりである。これは端的に公明党と創価学会の関係だ。いくら宗教問題を議論しようとも、創価学会の代弁をする公明党が与党でははじめから無理になる。そもそも創価学会は大石寺に破門された法華経と信者集団のひとつにすぎない。破門されて僧侶なしに創価学会という巨大組織を運営するのは池田大作のパワーであるが、もう10年表舞台に出てこない、1兆6千億円の資産の行方も気になるが、もしかしたらその生死を確認することが必要だ。つまりは政治ともつながるというところまで、だれも追求する評論家はいないのであえて言っておこう。宗教と政治については靖国神社の問題である、これは朝日新聞等が靖国問題をすぐに国際問題として反日を繰り返しているが、戦争で戦死した勇士を悼むお社であり、これを侮辱することはいかなるマスコミもしてはいけないことだ。たとえ敗戦だったからと言って、国の命令で死んだ兵士の責任ではないのだ。その中に戦犯がいることが問題と言うが、日本の宗教上は悪霊にならぬよう奉るという宗教行為がある以上仕方が無いのだ。ちなみに、西郷隆盛は西南戦争で賊軍として戦死したが、上野公園ではどうどうと国民から慕われている。朝日新聞も中韓を活用して反日活動を止めて廃刊すれば破れた者の気持ちはわかるし、敗者の痛みがわかるというものだ。さて第4の問題は、宗教全体に関する問題、混沌としてITやAIなどコンピュータ・デジタル社会になりつつある今日、宗教とは何かという根本問題をどうするかだ。安倍元総理を襲撃犯の母親はいまだ統一教にのめり込み詐欺をされていることすらわからずに多額の寄付をしている。まったく洗脳の恐ろしい事例でもあるが、なぜ既存の宗教では対応できないのだろうか。既存の仏教、神道、キリスト教ではなぜ物足りず、多くの人が新興のいかがわしい宗教まがりの集団に入ってしまうのか、現代の闇が見えてくる。宗教関係者も評論家も知識人も曖昧な話をするだけで、とても世界を納得させるところまでは言っていない。さて、今後また宗教のあるべき姿を考えたいが、とりあえず今日は安倍元総理のご冥福を祈るだけだ。

内山家政婦看護師紹介所

トップへ戻る