園児を乗せたバスに取り残されて3歳児が亡くなるという痛ましい事件がまた起きた。昨年も同様な事が置き、もう二度と無いと思っていたが、これが日本の正体である。人の失敗教訓など彼らには関係ないのだ、いい加減なチェックで日々を過ごすだけの人々、だれがどの子がどこにいるかを把握できない、いくらでもチェックできたはずだが、漫然と見過ごし、まるで奈良で犯人が手製銃を撃ち終わり目的を達成するまで傍観していた警護警官と同じなのだ。
さて、まだその安倍氏の国葬論が落ち着いていない、安倍氏本人も国葬は正直希望しないだろうが、日本の国威や面目もあるのでやることは私も同意していることは前にも言った。さて、議論の内容だが、そもそも安倍氏を国葬するほどの人物かというところが最大の焦点だ、特に統一教会の件、ロシアのプーチンへの譲歩などおかしな点は多々ある、モリカケも長期にわたり野党に愚弄されたこともいただけない、しかし、東日本大震災の民主党から日本を救った功績は極めて大きいと考える。だいたい、国葬に値する業績を何も持たないような、これまで何もしていない野党議員が何をもって元総理の葬儀を非難するか理解できない。安倍氏の国葬に反対する国会議員は当然、自身のこれまでの国政の成果を説明してからで無くてならない。次に問題は宗教との関わりだが、少なくとも国葬に宗教関係者は入れないだろう、個人的には個人の葬儀はその家の宗教だが、国家が行うものは原則政教分離でないと誤解を招くからだ。まして創価学会とか、統一教会とかの問題と対策は葬儀とは別の論議が必要だ。もう一つが経費の問題、18億円の予算のようだが、国民一人あたり18円、これが安いか高いか。本当は子供食堂や貧困対策に充てて欲しいが、しかし、国家のイベントも必要でそこからいろいろな金が動くことで産業や社会が潤うことも経済の流れで有益だ。多くの世界の要人が来日することは今後の観光産業にもメリットにすればいいのだ。世界の多くの国は国家が率先して企業や産業に投資や補助をだして大きな成果を出すが、財務省、経産省等は民間企業には1円も補助せず、ことごとく他国に商売で敗れている事実を国民は知るべきだ。最後はけじめの付け方なのだろう、非業なる不慮の死を遂げた元総理大臣に国家として国会としてどういう儀礼で送るかであろう。もちろん、家族の葬儀は行われ個人的な葬祭は終了しても国家の代表の死を黙って何もしないと言うことはやはり国家の体面がある。国家の体裁さえも考えないのは福島瑞穂とか野党の議員ばかりだろうが、結局、東京オリンピックも反対、憲法改正も反対、原発も反対と何でも反対の輩にすぎない、彼らは国の世話になっていないかというと実はたんまり年金や生活保護で生きている人々が、国の政策は全て反対するからおかしいと申しているのだ。こういう人たちの反対論は永遠であり、それらに付和雷同すれば日本が国葬にされるということを政治家は知るべきだ。
ちなみに、統一教会の手先として働いた文部科学省の文化庁宗務課及び下村元文部科学大臣の説明と責任は不十分であり、これに関する福島瑞穂先生以下反日市民活動家のご活躍を祈っております。もしこれを糾弾しないなら単に選挙の票にならないという理屈でしょうが、裏が透けて見えますね。