安倍総理の事件から2週間、いまだ日本の憤りは収まらないが、国葬すればいいというものでもない。功績は功績として、変な宗教に関与したことは政治と宗教の関係をうやむやして、政治的な中立性や宗教の自由の問題についてこれまでの基本原則を危うくするかもしれない。これは靖国神社の件も関わってくる、英霊や戦没者の冥福を祈ることすら総理大臣の名称が使えないなどの理不尽な意見を尊重しながら、日本を食い物にしたり、慰安婦や徴用工など解決した問題を何度も声高に罵る朝鮮人宗教にはメッセージを送るのだの、考えられないほどの非常識な行為だったと思う。いくらこの場で怒っても本人の弁明は出てこないのでしょうが無いが、宗教をどう関わるかはまさに政治の基本であった。ビデオレターを送ったのは統一教とは別の団体だと言ったところで、では靖国神社に奉納しただけで宗教だという方がおかしいだろう。創価学会や公明党などみれば政教分離など建前に過ぎないということだ、そもそも幼児餓死事件の首謀者が創価学会なのに池田大作は社会への説明責任すら果たしていない。少なくも統一協会は代表の説明があった、もちろん嘘ばかりついていたが。詐欺事件や巨額寄付などの事件に対応したが弁護士グループはもっと世間に公表すべきだったろうが、その前に政治家特に自民党が統一教会の支配にあったことは今回の時間から明白になったわけだ。ごちゃごちゃして申し訳ないが、政治家は宗教と縁を切り出直す必要がある、すくなくともそういうために政治資金が国から出ているのだ。そして宗教の関わりもできることとできないことを憲法できちんと明言した方がよい。信教は自由でも、宗教の名をかたってオウム真理教や統一教会や創価学会が存在するのだ。だからといって、地鎮祭や慰霊祭に参加もできない、新年のお参りもクリスマスもできないというのはおかしいことだ、だれでもお参りはできることはだれがしても自由だし、それがいたずらに宗教戦争を起こさせない道だと思う、これでまたイスラムの自爆テロでも起これば神の名を勝手に借りて人類が滅ぶことにもなりかねない。