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民意と言うのは結局言ったもん勝ち

建前は民衆全員の権利を守ることが民主主義の根幹であると思っているのだが、武蔵野市長の言動はとにかくいるものだれでも投票できれば民主主義と勘違いしている。こういう間違った考えの先には、いつのまにかだれかが決めたはなしで、いきなり武蔵野市はこうなった、こう決まった、こういうことをしますと言われて、一方的に服従する市民たちということになる。世界情勢も知らない、自分の評判と悪意だけを気にする市長にとっては良識など関心も無いのだろうが、他の国には約束も守らず、話をでっち上げて他国を非難し何かしらの謝罪や金品を要求する大統領も多いのをしらないのだろうか。どこかの国は条約で話が決着して金を受け取った後に、前の政権が決めた条約は無効と宣言し、賠償するように要求する、そして友好的に応対しても、問題提起した本人であるにも関わらず、一方的に要求を飲めと言うだけで自らはしらをきり一切何もしないと言う輩の国が現実に存在する。もしそういう国の人々が旅行がてらに宿泊し、国民が知らぬうちに問題提起し、かってに住民投票して、結果がかれらの要求を認めることが賛成多数であるということで武蔵野市政を乗っ取ることも可能になろう。じつにいい加減な制度の中で、今述べてきたことは民意というのは言ったもの勝ちであり、たとえば武蔵野市は全世界の人々に開けれた民主主義だと言われたら、もうそれで武蔵野市は、武蔵野市民から全世界のものになるという事だ。だれでも権利があるという事は、まさに先に言った者、声が大きい者、反日勢力の市民団の物ということを証明することになったろう。今回は武蔵野市民に敬意を称するが、市長は武蔵野市の反日化をするためには手段を選ぶことはしないだろう、まさに民主主義の消滅を意味する。

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