千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館が展示のリニューアルされましたので、ご興味ある方はお越しください。実はこの博物館に勤務していたので、是非行きたいのですが、さすがにこの暑さで行くのを控えております。そのかわりにこの場を使って宣伝のつもりで言いました。日本の歴史文化を後世にも伝える上でこういう博物館の存在は貴重です。できたらもう少し国際的にも日本の歴史を正しく伝えてほしいのですが、先生方。そうしないと事実無根の噺が世界に広めようする国々があり、多くの日本人が危険に晒されることになるのです。悪いことに反日目的の日本人が横行し徒党を組んで積極的に歴史事実をイコール日本人悪者説にしようと仕組んでいます。
津田大〇氏の芸術祭もその目論見だったのでしょうが、完全に政治目的の日本を貶める意図がわかります。これを明戸隆浩なるものが解説していたので、気になりました。まあ、これまでも憲法や経済やいわゆる知識人、大学教授と呼ばれる人間が悪意を持って日本の中傷をいかにももっともらしく理知的に述べていますが、そのほとんどは嘘でした。日本人も、特に役人は大学教授と聞くと敬い服従してしまいますが、学者は本当のことを知らないのが事実です。知っているのは教授と言う仕事を如何に利用して自分が頭がいいかを見せることだけですね。さて、本論ですが、隆浩氏は表現の自由を侵害するから憲法違反だとの主張です、ごもっともでどこか知事も腰砕けになりましたが、その理屈はおかしくはないかです。日本人の韓国等への暴言をヘイトスピーチとして表現の自由を妨害されています、もちろん暴言はいけませんが、ほとんど朝鮮による荒唐無稽な反日アピールに対する反論であり、これをヘイトとするほうがおかしいものです、また韓国の旭日旗へのヘイトや様々日本文化への嫌がらせはヘイトではないでしょうか。つまり日本人からみる事実無根の慰安婦を象徴する少女像はオーケーで、旭日旗や日本人の該当演説は表現の自由は認めないという理論は学者としてあり得ない理論です。表現の自由をみとめるならヘイトでも旭日旗でもオーケーにするという学術的な公正さでしょう。では、問題はどこまで表現の自由が認められるかですが、隆浩氏は少女像は政治的でないしただの像だから問題ないとしていますが、これを見た通常の日本人は極めて不愉快なヘイトを感じるはずです、すなわち隆浩氏は個人の感情だけの分析ですので科学的とは全くいえません。あとはもう極めて内容のない文言をならべてごまかしていましたが、結論はどれを表現の自由かを決めるかは隆浩氏の判断だということでしょう、この理論はだめですね。なぜなら人によって違う判断では科学的ではなく、恣意的なものになり子供でもわかるダメなりろんです。どこまでが表現の自由かは、日本の国内では大多数の日本人が認めるものがオーケーでしょう。すなわち今回の津田君の展示会がアウトになったのは正解だと思います。
実は佐倉市の国立歴史民俗博物館も、いろいろな解釈で揺れていました。例えば被差別部落の問題、さまざまな弾圧の取り扱い、人権の問題ももちろんあります、客観的な歴史事実となってしまえばいいのでしょうが、現在でも当事者がいれば大問題です。結局、当事者の承諾なしに平気で自己表現した津田氏はおかしといわれてもしょうがないでしょう。津田氏も隆浩君もわたしのこの自己表現に問題があると思うなら、ご連絡くださいね。