いろいろな情報が行き交い、結局元の知事が再選された兵庫県知事選挙。だったら選挙など無駄で、きっちり事件の中身をしかるべき組織が審議すれば良かったのではと思うが。結局知事本人も自覚がないし、県庁の対応もデタラメ、議会も中途半端というか機能不全、マスコミはデタラメ報道の垂れ流し、要はSNSを使って県民に直接訴えた内容が良かったのだろう。片山副知事が公益通報者を重罪同様の犯人さがしで脅し、知事共に辞職すべきだという当事者の直接の話を信じたのが間違いというか、猿芝居だったのか。とにかく再びイチから事実を精査審議して公表しなければ行政の信頼、県民の支持、県議会の存在意義が問われることになろう。しかし、自民党総裁選、衆議院総選挙、アメリカ大統領選挙、兵庫県知事どれもこれも予想外の結果で、いかに情報がいい加減で信頼に足りないと通関する次第だ。先日も原子力委員会が若狭の原子力の再稼働を認めないという結論づけたが、断層の上にあるとうのは本当に影響するのか科学的な根拠がない、いわゆるかもしれないでは納得がいかない。本当に数人の反原発論者の結論は強いて言うならはじめから不許可になるということだ。世界には無数の断層があり、多くは人間の生活圏にかかわるが、全てが危険という判断はできない。火山も何十万年に一度の噴火はあるが、ふたたび何時噴火するかは神のみぞ知るだけだ。これは責任を委員会に押しつければ彼らも万が一動いたら許可した委員が責任を負わされると思うから、はなから万が一の危険性があれば許可しないという事なのだろう。だったら委員会はいらないね。科学も不要。簡単にいうなら自動車も飛行機も新幹線もダムも火力発電所も万が一事故の可能性があるのだから全て破棄しなければならなくなるということだ。人間の組織は議会のように何十人もで構成する、一部の議員が危険でも、一部の会派が危険でも全体としてみれば適正なら法律は成立するのだ。百人の議員がいたら100人とも賛成しなければ法律ができないというなら人類は終わってしまう。空が落ちてくるかもしれない、断層が動くかもしれない、テロが起きるかもしれないと幼稚な議論ではなく、十分地震対策瀬されていれば問題なく許可すべきというのが人類の科学だと申しておこう。