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総理大臣には「顔」があるのだ

兵庫県に改革だと言いながら乗り込んできた知事も、おねだりといじめ、パワハラ、もはや権力の権化となり羅刹の如く子分を殺しまくる鬼となったようだ。北朝鮮のように事実を隠蔽し、密告者を探し出しては処刑するという同じ輩の集団、これは当該知事ばかりではなく、その取り巻き連中が深く加担していることは、まさにヒトラーや金正恩と同じ構造だ。通報者をメールからパソコンからほじくり出して探し出す方法はどこでもやっている悪辣なやり方で、国立機関でも行われている、決して許されない行為であるが、今回は表沙汰になっただけでも良かったかもしれない。さて「改革」を掲げて自民党総裁候補に名乗りを上げた者たちの品評会も始まっている。日本の総理大臣になる人物である以上は当然のことだが、同時に日本の顔になるのだ。とてもとても失礼だが、ET似だとか、労務者風とか、役所の玄関で会うような人とか、タクシー勤務のような柔和なお顔とかでほとんど普通のおじさんの顔では総理大臣はいかがなものなのか、世界の指導者と渡り合うにはやはり力強い顔立ちが必要と思うのだが、前の官房長のようなアルマジロ顔は無理だろう。さて、改革改革と毎回例年、こういう機会に呪文のごとく「改革」を出すが、ほとんど実効性がないお題目にしか聞こえないということ自体、候補者の力量がないというということだ。日〇大学では新しい総長が改革すると乗り込んでもう3年以上経つが、アメフト部の大麻事件で隠蔽まで起こし、それでも給料ほしさに何も改革しないままで居座っている著名〇作家がいるが、結論は同じ内容だろう。名前を売って一儲けしようとする輩は必ず改革だという、まさに詐欺師の用語だ、顔を出すたびに「改革します」という言葉があれば囮広告の詐欺と思えという注意と同じなのだ。国民は誰が指導者でだれが詐欺師か「顔」で認証するのも面白いかもしれない。改革するというなら、本気で改革してもらいたいが、結局密告者捜しで改革かよで終わらないように祈るばかりだ。

内山家政婦看護師紹介所

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