誰がロシアの国防大臣になってもダメだろう、そもそもプーチンのふくめた軍務経験がない人間が戦争やってもだめ、格好だけのショイグもやっぱりダメ、もちろん、後任の経済学者もダメだ、たんなるショイグへの当てつけにすぎない。もはやロシア兵士は経済学上の消耗品扱いとなり、いかに生産から精算の段階に入ったと考える。先日のロシアの戦勝記念日のパレードは戦車が一台だけだったという、国威発揚の場で戦車も出せないようなら意味が無い。習も先週、パリまで行って、マカロンから注文を受けても、「そういう問題は存在しない」とうそぶいてごまかした。一国の親分が行くのは交渉ではなく観光気分だということだ。ロシア、中国、北朝鮮、韓国、イスラム教の国々、結局彼らが仲がいいのは、ルールがないからなのだ。ルールがないから、利害関係がなければお仲間だというにすぎない。西側諸国はルールにのっとり、政治や経済、ありとあらゆることにルールで縛ろうとする。お互いルールを守るのも大変だし、そもそもルールを作ること自体が難しい、しかし、一度ルールが決まれば皆それでうまくいくこと知っているからルール作りに余念がなにのだ。しかし、ルール無用の独裁国家たちは独裁者の言葉に忠実なだけで、いかなる国際ルールも無視する。無視しないところは、逆に悪用して彼らに有利にするために利用する。自由主義も独裁国内では何もさせないが、自由主義国内では、好き勝手にスパイも破壊も好き勝手にやっている。結論を言うと、ルールで安定的に活動する西側国だけが生き残ることができるのだ。ルール無用の独裁主義では社会が成り立たないということなるということだ。ルールを作りルールを守る、それがない、できない国は国ではなく、ルールでできているのが国家であり、ルールがないのはサル山の大将に過ぎないのだ。