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行き倒れるか日本国憲法

日本の憲法学者の悪い所は、学者のくせに日本国の過去しか考えていないということだ。千葉県柏周辺で「ひょっこり男」が現れ、交通ルールを無視した騒ぎになっている、逮捕されたからいいようだが、まかり間違えば重大交通事故につながる危険極まりない行為を繰り返していた。こういうことは柏だけの問題ではなく、世界中がひょっこり男のように世界を挑発し、そしてそれに乗ってしまい戦端が開かれ、当事者はおろか国際連合も何もかも手に負えない状況が様々にでている。そういう状況で日本国憲法を解釈することが憲法学者の役割である。しかしながら、過去の教科書通りの回答しかしない憲法学者はすでに化石というか死んだも同じだろう。何もしなくては行き倒れてしまう、そのために憲法でどう対応すべきか解釈を変えることも必要なのだ。まさに杓子定規に一字一句に忠実に国家を運営することはできない、つまりは解釈なのだ。コーランは千年以上前にマホメットがいう予言だという触れ込みだが、今は平気で自爆テロ攻撃の根拠になっている時代だ。よく、中国は一つだという憲法学者が言うが、そもそも他国のことなど日本憲法は関知していないはずだろう。中国人が勝手に一つと言っているが、チベットもウイグルもいる、モンゴルもいる、はっきり言って別であり、一つというのは嘘なのだ。世界が平和というのも嘘ということがどうも理解できないようでは憲法学者も曲学阿世の範疇なのだ。結論から言うと、世界の情勢を判断することで、日本国憲法の存在意義が成立するということだ。すみやかに国会議員は判断すべきであり、先延ばしは憲法学者の飯の種になるだけで、日本国のためにはならないのだ。憲法学者は既存の条文を読むだけではダメで、そもそも憲法における存在意義が何かをもう一度学ばねばならない。

内山家政婦看護師紹介所

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