イスラエルのガザ地区の暴走をユダヤ教は止めることもできないし、イスラム宗教側も戦争に邁進している。どちらもどっち、宗教的には大したことが無い、ただのやんちゃんなヤクザと同じことを言っているようでは、宗教の意義はない。むかし、織田信長は比叡山の坊主たちは仏の名をかたってはいるが、やっていることは人々を惑わすゴロツキに過ぎないとして焼き討ちした。事実、修行をしているとは度遠い悪行を暴露され皆殺しにあっている。宗教は宗教、政治や軍事にのけぞり込むのはやめたほうが良いだろう。もしそうでないなら私に宗教と戦争の関係を説明して欲しい。「神の名前で人殺しはしてはいけない」という理屈の説明だ。さて、そうはいっても公明党は実際はソーカ学会という宗教団体が母体だ、その教祖ではないが、代表は昨年死んだのだが、同じ宗教人としてなぜイスラムの宗教指導者に忠告できなかったのか不思議である。もちろん、ユダヤ教の指導者でも良いのだが、こうまで戦争の終結が見えないと一言やはり言わないと平和を守ることができない。オサマビンラディンは多くの人間を操り、アメリカを恐怖のどん底に落としたが、結局自爆攻撃という極めて反宗教的行動は世界中から非難を浴びている、もしラデインがイスラムの聖者に祭り上げれるのなら宗教を名乗る資格はない。キリストは人類の原罪を背負って天に召された、比叡山は別にしても仏教では多くの僧侶が人々の救済で尽力したいる、では他の宗教に人間や社会への善の善なる行いをする気が無いなら、ただの戦争扇動者に過ぎないというのが私の結論だ。