どうする家康もいよいよ徳川幕府が成立とのこと。本来であれば織田家の天下であろうが、いつのまにか同盟者徳川が日本の盟主となった。織田信長の天才は、鉄砲などの兵器の近代化が主であるが、楽市楽座の経済の近代化、本願寺や比叡山との宗教改革にも強く影響している。そしてもう一つ、軍政の改革、これは従来の古参家来重視ではなく、新参でも大将クラスに付けるなど組織改革は今日の経営にも大きなシステムを導入している。それは織田家内の話ではなく、徳川家との連合という通常ではあり得ない体制の確立でもわかる。もちろん、従来の関わりから浅井朝倉連合とか、三好連合とかもあったのだが、基本的にいつ敵対してもいいような二つの武将が連合できたのは、信長の器量の大きさでもある。さすがに浅井家と織田との連合は失敗したが、家康は終始信長とともに行動したお陰で徳川幕府に結実したのである。天下分け目の関ヶ原では、豊臣側は「毛利」をトップにしたが、徳川は豊臣恩顧の大名を従えることができたのは織田徳川連合のお陰である。いくら大大名といえども毛利家は織田徳川連合の敵であったわけで、それをトップにした豊臣家幹部への失望でもある。さて、今は自民と公明の与党連合だ。岸田政権を支える上で、これからも手を携えていくのだろうが、池田氏なくなった。もう10年公の場に出ていないので、おそらく植物人間の状態で信濃町の特別病室で生かされきたのだろうが、胃瘻と人工呼吸器も使えないほどの腐敗が進んだということだ、問題は一兆6千億を越える遺産の処理だけが、どうするのだろうか。もちろん、同氏を賞賛する政界や文化人、タレント、マスコミの提灯話しかニュースにならないが、宗教のやり方は統一教会並みのしゃくぶつという手法でガンガン入会を勧められたこともあるが、一体莫大な遺産はどうやって構築したかお話を伺えれば日蓮聖人も喜ぶと思う。