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習に説明する必要はない

京都アニメ放火犯についてようやく裁判が始まる。要は犯人が正気か精神異常かだけで、容疑事実は確定している。36人の死者、さらにそれ以上の被害者にどう謝罪するのか。この事件の後にも大阪で病院が襲撃されて、献身的な医師など多数の犠牲者をだすなど、無茶苦茶な事件が繰り返されている。なんでもかんでも精神異常者として無罪に持って行こうとするのが正義なのだろうか。中国でのこの種の犯罪があれば一月もしないうちに処刑される、故に中国では毎年1万人以上の死刑が執行されるが、これ自体異常ではあるが、社会維持の抑止力にはなろう。さて、いまさら勝手な思い込みで、勤勉優秀な人々の生命と幸福を奪った男を早く死刑にする以外、弔いにはならない、はっきり言って犯罪を謝罪させ、罪を理解したところで何も意味が無いからだ。されに悪いことにはどれほど膨大な資料を作成しても裁判が終われば、保存期間をすぎれば抹消するのが日本の裁判所である以上、後世にも残らないと言うことだ。犯罪も事故も災害も運命に依って決定されるという事なのかもしれない。そして中国、いまだに福島の処理水を強い非難を繰り返して、中華人民を煽っているが、ほっておくしかないだろう。聞く耳持たずに、勝手に思い込んで非難中傷しているのはどこかの放火犯と同じ精神構造だから。自分が何をどうしているかはまったく考えもなく、迷うことなく他人が悪いと決めつけ、あらゆる抗弁で非難しまくる。よく考えれば、自分がそれ以上の放射能をまき散らしていることも黙っているのだ。言っても説得しようにも、理解さえるにもおそらく無理、もし反論したいなら相手の弱みを突くしかないが、そういう知恵は日本にはないだろう。サンケイ新聞がいうように、学術会議が科学的に説明するなり、歴史系の博物館や大学教授が歴史問題を説明すべきと言うが、そんな学者や教授は日本には存在しない。自分の小説を売るために大学の理事長になる小説家と同じレベルだろう。何も知らないし、何も言わないのが日本の学者であるということを日本人は気がつくべきだ。いい例が静岡県の知事など元教授にもかかわらずリニアモターカーを妨害し、莫大な日本の産業を破戒しているのだ。
さて、繰り替えずが、中国はほおっておけば十分だ、騒ぐだけ騒いでも処理水放出は変わりが無いし、騒ぐことでいよいよ誤魔化しが効かない中国の実像が浮き彫りにされる絶好のチャンスになるのだ。

内山家政婦看護師紹介所

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