憲法学者になる人は、もちろん学生に尊敬されたいためになるのだ。実学の刑法や商法になかなか人気が集まらない時代に学生時代を過ごしたがのだが、いまだに憲法は化石状態であり、ほとんど役に立っていないと思っている。それは法律が整備されたために憲法まで立ち返る必要がなくなり、国民に浸透したからでもある。さて、憲法が浸透した結果、あまりに従僕になりすぎて憲法に触っても論議してもいけないという誤った化石のごとく憲法学者がヤマビコを繰り返している。先日中国共産党人民解放軍が日本の排他的経済水域に5発ものミサイルを撃ち込んでいる。近隣の与那国の自衛隊基地への威嚇であることは明白である。こういった主権侵害に対し、憲法学者はいかようなメッセージを発信したのか。ハッキリ言ってだれも何も言わずに、傍観するだけだ。内心は忠誠を誓う習へ諸手を挙げて賛同しているに違いないだろう。もし違うという憲法学者はご連絡願いたい、その方とはここで謝罪しますので。いずれにしても日本国を攻撃する行動に対しだれも一言も抗議もできずに、国家の安全や国家主権を維持できるのか、維持できない憲法は明確に憲法ではないといいことだ、これだけははっきり言っておこう。
さて、いくら尊敬されたいと言って相手を威嚇して強制的に土下座をさせるヤクザ的な思考を絶対権力または中華思想という。これまで四千年の栄枯盛衰で強い国が弱い国を攻め滅ぼすことの連続であり、今は中国共産党がチベットをウイグルを、そして台湾へ、次は沖縄へと突き進んでいる。しかしこれは尊敬という面からするとだれからも尊重されないという悪例にすぎない。親分が力ずくで子分を従え、倒した他の親分たちを足蹴にする構図にそっくりだろう。大国つまり強国が本当に尊敬されるのは、弱小国を対等に敬愛し尊重するから大国としての威厳なり尊厳を認めてくれるのだ、それをしらずに弱い者いじめをすればいつしか誰からも忘れ去られるものとなる。この地球上は全てが循環するシステムだ、どこにも中心はなく、だれも平等で、大きい小さい、強い弱いは単なる川の流れと同じものである。なあ、日本国憲法前文でもよく読んでみたらどうだろうか。