最高学府を嵩にきて憲法を弄ぶ輩が憲法学者である。はっきり言って時代遅れの憲法を後生大事に一字一句変更は認めないなどという学者がどこにいようか。学問というのは時代の変遷に併せて、時宜更新し新しくするのが学問であり、はじめからいかなる修正も認めずというのはもはや宗教だろう。もちろん、今までは戦争で恐怖症になった人々の支えを信者にして正に護憲宗として権力と資金を得てきたが、要は第9条を守れというお題目を唱えるだけで、学問上の内容や成果は皆無と言うだけだ。この70年間に憲法学の論文が出されたのか、結局一つも無いなのだ。問題は憲法学者は本当に憲法を守ってきたかを明確にしたい。というのは、大学職員だったので、直接ではないが、全学連による全国の大学での学生運動の話は聞いてるからだ。もちろん、先輩たちの時代の話なので見たわけでないので、間違いがあればお知らせ願いたいのだが。結論を言うと、東大法学部の憲法学者以下ほとんど全ての教官教員は真っ先に逃げ出し、だれも学生たちの学内破壊活動を止めなかったそうだ。事務職員たちは何度かバリケードを撤去や正常化に頑張ったが、事務局の建物すら占拠されるという始末だった。最後は政府が学生の破壊活動に対する法案を成立し警官隊が安田講堂に突入し、東大紛争はようやく解決したという事実がある。東大だけではなく全国の大学に広がった学生運動もやがて警察の力で鎮圧されてと言うことだ。
さて憲法の問題はどうなったのかな、憲法学者諸君。それまで憲法に定められた学問の自由を盾に警察官が大学構内に立ち入るのもできなかったのだが、結局、学長も教授も高名なる憲法学者もだれも学生と話し合いもできずに雲隠れしたのが。戦場と化した大学から学問の自由を守れなかったのは教官自体の責任ということだ。憲法にいう学問の自由はいくらでも人任せで改変できても、第9条を死守するというのは宮沢という過去の憲法学者を天皇のように崇めているからでもある。だから俺らも崇めろというのか愚か者ども。結局いくら崇め奉ろうとも、日本国憲法はアメリカ憲法と実はつながっているという遠い兄弟関係にあるということすら知らないのだ。まあ、アメリカが作った以上はそうなってしまうと言うことだけだが、当初は日本を押さえ込むための憲法だが、世界情勢は急激に変化している。今後憲法の内容についてはあくまでも岸田政権の問題なので言わないが、もう憲法学者のお山の大将の時代ではなくなったことは言っておく。ちなみに岸田氏が口先だけの改憲で何もしないから憲法学者は枕を高くして寝ていても大丈夫だということは補足しておこう。