太陽が大きくなっているのだろうか猛暑がとまらない、コロナ感染もとまらない。さしずめ、太陽がいっぱい、コロナもいっぱいだ。8月のお盆になった途端、北九州小倉の有名な商店街、旦過市場で火災が起きた。4月の大火災で燃え残った商店がこれで全部灰塵に帰した。せっかく松本清張誕生の地で没後30年の節目の年にこうなるとは、人の不幸に嫌みを言うつもりもないが、なんで消火器を十分に用意していなかったのかにつきる。一度起きたからもう安全大丈夫と火災予防の措置を怠ったため以外には考えられない。日本人はなんとかなるだろう思い込んでしまい、やれば大丈夫、問題なし、心配するな、で決してもしものことは考えない民族なのだ。NHKのおかげで毎日太平洋戦争の日本の負け戦の悲惨さを見させられるが、見てみれば何で浅はかに戦争したのかと悔やまれるばかりだ。はっきり言って勝つことしか考えずに、万が一のことなど端から考えもしないのだ。まあ、残念だが、旦過市場の再建は困難なのだろう。沖縄の首里城火災も悲惨であったが現在は再建が進んでいる、しかし、おそらく次の火災ははじめからありえないとして消火設備は不十分であろう、そして再び灰塵に帰すことになる。負の面ばかり言ったが、これは現在の社会で、その今の世界があらゆる問題が吹き出ている時代なのだ。これを解決する者だけが次の時代を生き残り、制覇することができるのだ。故に何も解決能力がない中国共産党に未来はない。では自由主義、資本主義社会、いわゆる日本を含む西洋型社会は解決できるのだろうか。私は解決するだろうと思っている。つまり灰塵に帰すようなことがあっても再建はなんでも可能なのだ。二酸化炭素で温暖化が進めば二酸化炭素排除の産業が起きることになる、海洋汚染でも産業として取り組むこともできる、食料難なら工場で食料生産をしたり、サイバー攻撃があれば、サイバー攻撃を撃退するシステムを構築するなどなど、負の問題を仕事や事業として新しい分野を切り開くことができるのも資本主義の弾力性だ。簡単すぎる解説になったが、能力と資金さえあれば、いかなる問題も解決が可能ということが将来の政治のリーダーシップだ。しかし、いまだに70年も前の憲法に縛られて未来もこれで大丈夫だと信じている国会議員や大臣がいれば、消火器のない商店街と同じ運命をたどるだろう。