統一教会についてはこれまでもいかがわしい詐欺まがいの被害やきわめて異常な宗教論理に多くの人が違和感を持ったはずだ。教祖なる物がキリストだという変な理屈をなぜ信じる者があるのか不思議なのだが、これは創価学会も同じ、これはこれではっきり白黒をつける必要がある。信教の自由という基本的人権の関わることを利用した犯罪はオウムをみてもわかるとおり、新たな宗教戦争を引き起こしかねない。ちなみに自爆テロのイスラム教は現在も行われている。そういう問題とは区別して一国の要人がこれほど簡単に殺害されるということは警備や国家安全の根本が問われている。こういうことは昔なら即座に軍法会議で判断されるようなものであり、いまごろ警備体制について検討するなどと言うバカな老害の国家公安委員会の存在意味は無い。少なくとも安部氏がいなくなれば70年前に戻ったも同然、全てが元の木阿弥でだれも何もしないだろう。もともと選挙のときのお題目に過ぎないのだが、まだ安部氏がおれば現実味もあるが、結局は福島瑞穂にだれもかなわない以上、これで憲法改正はなくなったということだ。実際にウクライナ同様にどこかの独裁国が日本に軍事行動を始めてから気がつくのがおちだろう、そうまるで、銃弾を撃たれて死んでからそっと寄り添うように犯人を取り囲むようなもので、後の祭り、踊る阿呆に見る阿呆、飛んで火に入る夏の国会議員どもだ。安部氏に合掌。