2月になりいまだコロナ終焉が見えぬ時に、石原慎太郎氏が逝去された。先日は瀬戸内寂聴氏が亡くなられ、次と次と現代日本文学界を先導する作家を失った。もちろんお二人とも単なる作家ではなく、政治や世相におけるオピニオンリーダーであり卓越した話しぶりは他の追従を許さなかった。まさに惜しい人を失くしたという感じだ。石原慎太郎氏は政治家として軸のぶれない、または中心軸を持った論客であり、座談会などでも向かうところ敵がないという人物だった。おそらく今の時代に大衆と議論しても悠々としている気概を持つ者はもう日本には出てこないかもしれない。中国人は極めて議論好きだ、いくらでもいつまでも自論を説いては相手を打ち負かすまで話し続ける。おそらく日本人は閉口して逃げるだろう。当たり前だ、いくら証拠を示し、いくら証明し説明しようとしても聞き耳など持っていない、ひたすら根拠のない自説を臆面もなく大声で喚き散らし、少なくともこちらの話を聞こうとは絶対にしない。うまくこちらが話す場面が来ても、瞬時に「だからそれは」と話を折って割り込み、ふたたび持論でこちらをねじ伏せようとする。連中を止めることができるのは、根負けして「わかったそれでいいです」と言う敗北宣言をすれば、満面の笑みで「お前は友達だ」とか言って、その場であなたの物を全部持ち去るだろう、あなたの物は私の物、私の物は私の物、極めて簡単な理屈だ。中国人はとにかく議論が好きで日常茶飯事死ぬまで議論するので、お付き合いはできない。したい人はいくらでもすればいいが、死ぬまであなたを理解はしてくれない。丁度、菅官房長に毎日新聞の女性記者が毎回何度も同じ質問を繰り返し、政府が悪いと認めさせるまで質問をやめないと同じ思考だ。これはもちろん中国共産党の指導訓練の賜物だが、日本の外務省の元チャイニーズスクールの面々も同様だ、結局中国との国交正常化交渉などでかれらチャイニーズスクールは中国の手先として動いた結果、毎日のように尖閣の中国公船の元寇があるわけだ。先日は日本の調査船が日本の領海内で中国船の追いまくられた、日本政府も抗議だけではだめだし、抗議したところで無意味という事を悟らないのだろうか。偉大な石原慎太郎元都知事は東京都の島として尖閣の利用を考えていたのでもし石原氏のように行動すれば今の状況は変わっていたろう。ちなみに当時は民主党の野田政権で、馬鹿以下の最低のだった。あれだけバカだと、中国共産党はバカだとも言っていられない、どっちがバカかは明らかに野田だからだ
昨日は小松基地のF15戦闘機が行方不明となり、優秀なパイロットの安否が気になる。自衛隊の戦闘機パイロットを一人作るのにはいくらかかるかおわかりだろうか、数億円はかかるのだ。医者の養成も医学部の経費は莫大だが、桁が違う費用を掛けてパイロットが生まれているのだ。飛行機は工場でいくらでも作ることができるが、熟練したパイロットは一人でも重要、貴重な存在である。かつてミッドウエイで空母とともに多くのゼロ戦パイロットを失ったことで敗戦への道を進んだ国もある、安否が気になる。