令和3年もいよいよ年度末に向かっています。早いもので今年は東日本大震災から10年目です。いまだコロナは衰えることもなく、一度延期したオリンピックもできるのかわかりません、もう4か月もないのです。現在の総理はじめだれもリーダーシップを取れる人材がいないのも歴史的にみたら日本では当然のことです、ですからその時の雰囲気で物事を決めてしまうと言う欠点は大震災から10年経っても変わらないと言うことです。日本の国是は「和すること」です。つまり聖徳太子が定めた憲法がいまでも生きているのです。和するということは皆で話あって決めることであり、リーダーが決めることではないのです。さらに悪いことに、仏教のもとでは「悟る」ことが精神構造の根本であり、偉大なる神を探求する一神教の西洋諸国などとは全く次元が違うのです。日本のような社会構造、精神構造では皆が平等で皆な仲良くが前提であれば、危機対応や困難性の打破など耐えて偲ぶくらいしか考えられないのです。まあそういうことですよ、いくら国防や防災について語り、憲法を改正しろと言っても国会議員すら何も一言も言わなければどうしようもないことで、なお、私はそういう日本人の精神構造を見ているので、私は教える立場であり、同時に法律を作る立場ではありません。しばらく忙しくいましたが、いよいよ尖閣には中国の魔手が近づいてきました。かれらは自らの主張が全て正義であり、他者の言うことは聞き耳もちません。おそらく例のごとく、中国から攻撃を開始するのですが、当然、攻撃を始めたのは日本であり、そのための正当な防衛行為だと言う筋書きですから、総理大臣はそういうことが起きてから考えるようなことはしない方がいいでしょう。コロナの緊急事態が始まってからどうしようではなく、はじめから来るのを想定して病院あり収容施設を確保するのが政治ですよ。だから彼らは政治家ではなく、選挙屋さんですね。創価学会と言う宗教団体が政府内に居ること自体が政教分離に反します。ちなみに5歳児を餓死させた創価学会会員はその巨体のためにどれだけの食べ物を貪り食ったのか、そして池田大作は生きているのか死んでいるのか、はっきり言って信濃町の自宅で死んでいるかのようです。問題は大作のもつ2兆円近い財産をどう相続するかでもめているのかもしれません。いかに宗教団体を名乗ってはいますが、到底和をもって尊しとはしないのでしょう、もし和するのであれば私に連絡ください、アドバイスをします。2兆円でこれからくる中国の脅威に対抗することが元寇に対峙した日蓮上人の御意向と思いますが、違いますか、ちがうというなら日蓮の名前を使ってはいけません、きちんと地獄に行って日蓮上人に詫びるべきです。さて話は飛びましたし、何を信仰しようが宗教の自由ですので非難はしませんが、政治に口出しはダメと言うことです。そうだ忘れましたが、コロナのための緊急事態宣言が解除され営業時間の短縮が緩和されるようです。小池知事はともかく、とにかく時間を短縮して店を閉めると言うのは次善の策に過ぎず、ワクチンの早急な接種と、飛沫や接触行為の防止が本来の主たる対策のですが、そこらも理解していないようです。これもあれもリーダーがいないから声の大きいひとに振り回され、皆がなかよく和を持って尊しではなく、コロナはどうやって人体に侵入するかを考えればわかることです。そうしないと本当にオリンピックは終了しますよ。