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司馬遼太郎すら歴史上の人物となる

今年大学を卒業したという若い人に聞いたら司馬遼太郎を知らないと言う。そういう時代になったんですね、われわれの歴史観は司馬遼太郎の小説から始まったようなものであり、日本史と言うのは司馬氏の描いたダイナミックな人物たちの生きざまであると思っていたのですが。これが歴史です、歴史を作った偉人達同様、どんな偉大な作家もいずれは歴史の中に埋もれるか風化するのです。というのも、今の日本史は司馬遼太郎氏の歴史観も歴史の一面をとらえたものにすぎないと思っているからです。たしかに司馬遼太郎による歴史観は、例えば織田信長の天才が周囲の群雄と戦い、さらには秀吉、家康という巨人たちが勝ち取ってゆくという一本道のストーリーで非常にわかりやすいのですが、じつはそれは歴史の流れの一つに過ぎないのです。このごろ上念司氏の経済からよみとく日本史を呼んで思います。上念氏の本では、いかに日本史は経済で動かされたということが明白になりました。決して信長の天才性だけではなかったのです。また、これまでも井沢元彦氏の、古文書では読み取れない、裏からみた日本史も驚異的な思考で日本史を見ることができます。まさに歴史の真実と言うのはこういうことなのでしょう。また、磯田道史氏のような庶民からみた歴史も重要です。つまりは歴史とは総合的な見方で理解しないといけないと思います。ましてや中国や韓国の様に歴史をねつ造して反日の道具にするような冒涜はしてはいけないのです。さて、韓国の反日行為は国交断絶以外に方法はもうありませんが、それもまた歴史上の一つとしてみればいいのではないでしょうか。
それよりも日本学術会議の暴走も気になります。高名な先生方が居丈高に政府批判をしていますが、じつは彼らもまた歴史上の人物に過ぎません、すでに化石化した学者もいるし、何をしてきたか、おそらく歴史に名すら残らない学者みたいな人もたくさんいます。しかし、かれらは今の自分たちの主張が神に与えられた権利であるかの様に横暴に
世論を操作し、学術を破壊しようとしています。これが今の学者の姿です、ほとんど暴力団とかわりません。結局、かれらの老後の保障をするために機関であれば廃止もやもえません。今回の騒動で、経団連のようにもう少し実働のある組織でないと言うのが明白となりました。彼らは自分たちのことしか考えていませんが、非正規の労働者の保護などかれらの眼中にはないのです。これが学問の自由や学術会議の歴史的意義を守ると言う話はまやかしです。学術会議のメンバーで去年の論文を是非見せてください、まあシロートに理解はできないかと思うかもしれませんが、それをいうなら論文書いてますか、去年書いてないなら10年間でもいいです。結局彼らは論文など書いていません、学者としての資格もないし、すなわち学術会議の必要性はないのです。

内山家政婦看護師紹介所

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