ながながと釈明しても意味のないごまかしで、言ったことは「私は知らない」「私は無罪だ」と言いたいらしいが、どこまでも行っても黒は黒、しかし、大統領は腹心でかつ後継者として、国家よりも大事だから完全に守るのだろう。どこの国の事かはわからないが、日本もついこの間、文部科学省の局長が息子を医科大学に裏取引で入学された疑い、つまり収賄で起訴された。金の受け取りではないが、息子を医者にするということがわいろと認定されたのだ。また、モリカケ問題では財務省の局長もまた国有地売買で「知らぬ」「わからぬ」を繰り返していた、おそらく人間とは保身のためにはどのような嘘も方便をつくということだ。香港の長官も辞めると言ったり言わなかったり、結局、また大勢の市民若者が危険に晒されようとしている。政治的にも経済的にも自然環境も全てにおいて地球上では転換期にあるような感じです。アマゾンでは膨大なジャングルが火災で焼失しています。海洋ではぞくぞくと漁業が不漁となり、領海すら勝手に埋め立てる国が世界を支配しようとしています。
さて、今日も児童の虐待が問題となっていますが、母親がまったくの保身で子供を守れない状況です。言い訳にもなりません、知らぬ、存ぜぬ、無罪ですなど言ったとしても、殺人ですよこれは。もちろん一番悪いのは良心ですが、児童相談所のずさんな対応は一向に治りません。前にも書いているので繰り返したくないですが、事件は繰り返しました。児童相談所は何も対応せずに少女をころす手助けをしたのです。まあ、いくら対策をしてもガソリンを蒔かれたり、背後から襲われればどうしようもありませんが、社会が壊れていくということは認識しないといけないでしょ。いつまでもアメリカが守ってくれる、国が守ってくれる、両親が守ってくれるというのは空ごとになるような感じです。ではどうするか、たとえば自然にもっと注目することでしょうか。人工的な社会、人工的な制度、人工的な主義主張、これらはいずれ崩壊します、いくら合理的に理想的に作られたものであっても所詮作り物なのです。人間もまた自然の一部であり、自然の法則でできています、社会も家族も自然に作られ長い期間に経験と教訓を積み重ねてできてきたものです。自然と人口の差もなにかは微妙ですがは、無理やり作るものはほころびが起こります。以外にヨーロッパの国々ように伝統と習慣を守りながら生きる国々は経済は発展しなくても心は豊かで、いきいきと暮らしているようにかんじるのはなぜでしょうか。日本人ももういちど自然にあるものに気をとめるべきです。知らぬ、存ぜぬ、私のせいじゃないと言ったところで、神様はしっかり見ていると思います。